だいぶ久しぶりになりましたが、
3月の春分の日を間近にする
春のうららの、始まりのエネルギーと共に、
ゆっくり座って感じてみた、
トライゴーニック・クォーツからのメッセージを
シェアさせていただきますね♪
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ゆったり座ったと同時に、
気圧の変化を感じ、即イメージがあり、
それは、フェアリーがヴァイオレット
あるいはペールヴァイオレットの花びらを
いくつも舞わせているような、
そんなぼんやりとした光景でした。
高次のエネルギーとともに
そこには流れがあり、
その流れは、たとえば、滝のそばにいて
そこを遡ってゆく様な、
水しぶきを感じながら上昇する
うねりや旋回の動きと共に
浄化も起こっています。
さらに高次のエネルギーが融合してゆきながら、
その最初にフェアリーであった存在は、
羽衣をまとった観音のようでもありました。
優雅さと力強さを併せ持つ
その姿は、聖幾何学と一体となり、
彼女自身が聖幾何学と化身し、
あるいはエネルギーそのものとなり、
スペースを、なにかを浄めてゆきます。
そしてそれが完了したとき、
目に映ってきたのは、
美しい透明さに輝き、七色を放射する
龍のような存在、
けれどそれは不死鳥のようでもありました。
その瞳に一粒の涙が流れ、
イメージで見せてくれるのは、
彼女がたとえば灰となったとしても、
それが降り積もる大地に、
彼女の分身の不死鳥が、幾羽も幾羽も
生まれるのであり、
そこから再び生命が誕生し、育ち、栄えるということ。
それは赤子として宿り生まれ成長し、
あるいは動物として現れ、
あるいは植物として誕生し成長し・・・
すべて、消滅と誕生の聖なる輪の中で、
終わることのない生命の物語が続いているということ。
彼女は
時を司るもの
法則
神の化身
そしてその慈愛を、
彼女の身を灰となして
そして再誕生を生むという、
その聖なる輪に捧げるのであり、
その慈愛に包まれて展開する
『物語』は、とても尊いものであること。
マインドを使い、そしてそのマインドさえも
思いもつかないものへと超えて
その創造性を発揮する人類にとって
その『物語』はとても尊いものであり、
それを通して、人類は、自らの意図の一連を
眺めることが出来る。。。
そして時を超えて、
そこにあるのは、聖なる意図だけであること。
ひとりひとりの命の中に、
一本一本の木の命の中に、
一頭一頭の動物の存在の中に、
風にゆれる植物の一輪の中に・・・
すべての、消滅と再誕生という
聖なる物語はこめられています。
だから、変化を恐れないで。
いつもそれは聖なる輪の中にあるのだから。