美しいものを見たとき、
私たちは崇高な宇宙の整合性、神秘性をそこに見ます。
そして特にそれが、日常に潜む、
注目もされない場所、存在に見つかるとき、
思わず感嘆の思いがします。
日々、その尊さに気づくこともなく、
小さな自分の世界に埋没して、しっかり目を開いて
生きていなかったことに気づきます。
たとえばそれは、光に透けるクモの巣の
美しく完璧な様だとか、
このタンポポの種のような、踏まれて誰にも気づかれない中にある、
その生命の連綿と続くプロセスを、可能にする英知の宿り、
完璧な美の中にそれがあること
完璧な形、素材としてそこにあること。
「生命」は自分のものだけではなく、
確かに宇宙のものであり、共創造であり、
かけがえのない尊さの反映なのだと、改めて思い知ります。
タンポポは、特に目を引くわけでもなく
鑑賞されるわけでもなく、花を終え、そして種を結びます。
それをじっと見ると・・・
あわただしい目では、なんら神秘を感じないその中に、
人間ががんばっても造れない完璧な整合性があったりします。
ひとつひとつの種子が、一番飛び立ち易く、拡散しやすい形状、
軽さで作られ、それぞれが手をつなぎ、丸い美しいマンダラのような美を
そこに創っています。
聖幾何学を形づくるそれは、ただ、名もなく、野にあり、
誰に見られるともなく、けれどその内なる神秘を素直に開いています。
私たちもその存在とまったく同じようにクリエイトされ、
そして共創造者として、ここにいます。
日々、小さな世界が喚起するさまざまな声だけに振り回されず、
身近なところにひっそりと、けれど豊富に存在する
宇宙の英知と美の表現のさまざまを、しっかり目をあけて
愛でてゆきたいものと思います。