身近にある宇宙の美

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タンポポの種

美しいものを見たとき、

私たちは崇高な宇宙の整合性、神秘性をそこに見ます。

そして特にそれが、日常に潜む、注目もされない場所、存在に見つかるとき、

思わず感嘆の思いがします。

日々、その尊さに気づくこともなく、小さな自分の世界に埋没して、

しっかり目を開いて生きていなかったことに気づきます。

 

たとえばそれは、光に透けるクモの巣の美しく完璧な様だとか、

このタンポポの種のような、踏まれて誰にも気づかれない中にある、生命の連綿と続くプロセスを、可能にする英知の宿り。

完璧な美の中にそれがあること、完璧な形、素材としてそこにあること。

 

「生命」は自分のものだけではなく、確かに宇宙のものであり、共創造であり、

かけがえのない尊さの反映なのだと、改めて思い知ります。

 

タンポポは、特に目を引くわけでもなく鑑賞されるわけでもなく、花を終え、そして種を結びます。

それをじっと見ると・・・

あわただしい目では、なんら神秘を感じないその中に、

人間がどうがんばってもつくれない完璧な整合性があったりします。

 

ひとつひとつの種子が、一番飛び立ち易く、拡散しやすい形状、軽さで作られ、

それぞれが手をつなぎ、丸い美しいマンダラのような美をそこに創っています。

聖幾何学を形づくるそれは、ただ、名もなく、野にあり、誰に見られるともなく、

けれどその内なる神秘を素直に開いています。

 

私たちもその存在とまったく同じようにクリエイトされ、

そして共創造者として、ここにいます。

日々、小さな世界が喚起するさまざまな声だけに振り回されず、

身近なところにひっそりと、けれど豊富に存在する宇宙の英知と美の表現のさまざまを、

しっかり目をあけて愛でてゆきたいものと思います。

 

  • 2015 08.04
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