自分自身というものの 定義づけ

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自分自身と出会う

 

私たちは物心ついてから、

そのときの知覚のレベルという範囲の中で、

それまで関わってくれた他者からの影響も多大に受けながら、

 

「自分とはこういうもの」

「私はこうなんだもん!」と、良いにしろ、そうでないにしろ、

自分自身というものを定義づけ、

それを年を重ねるごとに強化したり、あるいは、ちょっぴり変化させたりしながら、

持ち続けて生きてきています。

 

その自分の持つ、自分自身を定義するものが、

他者のそれと一致することもあれば、

自分だけがそう思い込んでいるもの、

あるいは自分だけが見えていないものがあったり、

そういうこともあるかもしれません。

 

長じてからは、あるフォームとしては、

かなりその定義づけが、かっちりしてくると思うのですが、

それでも、自分自身を深く見つめること、

世界や人間存在や自分自身を、より深く見ることが可能になることにより、

今まで思い込んでいたものが、

ベールがはがれてゆくように、より深いレベルの自己との

邂逅も経験します。

 

それまでは、Aだと思い込んでいたのに、

実は、Bだったとか(笑)、結構あるのです。

 

良い、悪いに関わりなく、私たちは自分自身に持つ定義づけを、

どこかよりどころとして、指針にしたり、参考にしたり、

ある意味で精神活動の基盤を、そこに置いてもいるわけですので、

案外と、そういう思い込みを見つけるのは、簡単でもないかもしれませんが、

ふと読んだ本、躓きの中で自分を省みることしかできないような中で、

 

はっ!と瞬時で見えてきたり、

これはどこか、やはり恩寵ともいえるのかもしれません、

その共時性が起こったということでは。

 

そしてそこで思うのは、やはり他者というのは、自分自身のなんらかを

映し出している存在なのだなということ。

 

という意味では、回りにいる他者を丁寧に見てゆくことにより、

自分の思い込みを超えて、より深い自分自身との出会いも

できるわけですね。

 

特に、チャレンジを与えてくれるような存在は、

その偽装されたギフトということで、

その、自分を知るということに関して、

より大きなメッセージを携えて、あなたの人生に訪れてくれている人

と言えるのかもしれません。

 

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